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空手の命は組手にあり、組手の命は基本にあり。基本の命は正拳にあり。

2021年3月13日

大山倍達総裁は「空手の命は組手にあり。組手の命は基本にあり。よって、基本稽古を大事にしなければならない」と我々弟子に向かって常日頃、言われていました。

ただし、その続きがあります。それを知らない人がほとんどですが、次の通りです。

「基本の命は正拳にあり」

「空手の命は組手にあり」の意味は、空手は組手の稽古をしなければ、「ただのダンス空手だよ。実戦で役に立たないよ」ということです。相手との間合い、タイミング、力の入れ方、技の当て方、呼吸の使い方など、これらはすべて実際に技を当てる組手をして稽古しなければ身につかないということです。(この場合、必ずしも顔面を叩かなくてもよい)

「組手の命は基本にあり」の意味は、空手の命である組手を稽古する上で大事なことは基本稽古をしっかりと稽古するということです。

実際に大山総裁が実験をしたことがあると言われてます。Aという弟子には基本稽古を中心に稽古させ、Bという弟子には基本をあまりやらせず入門早々からサンドバックを叩いたり蹴ったりするキックボクシングのような稽古をさせてみて、数年後、二人を組手で戦わせたところ、基本稽古をしっかりとやったAがBを道場中を追いかけまわすような状態だったということです。基本稽古をやらなかったBは基本稽古をしっかりやっていたAに全く歯が立たなかったということです。組手で強くなるためには基本稽古が大事だということです。

「基本の命は正拳にあり」とは、空手とは基本の技の中でも特に「正拳」突きを極めよ、結論は「空手の命は正拳にあり」ということです。正しい「正拳」突きを会得できないから試合が相撲のような押し合いになるのです。大山総裁は「試合で一発殴ったら相手が倒れるようにならなくちゃダメだよ(顔を叩かなくても一発で倒せる正拳突きを身につけよという意味)」と言われてました。我々弟子はそういう正拳突きを極めるように日々の稽古をしなければなりません。

空手の命は正拳にあり。正拳とは素手の拳のことです。ですから、本来はグローブを着けて戦う試合は空手ではないということです。K-1やキックボクシングのようにグローブを着ける試合はもちろんのこと、総合格闘技で使用する薄いオープンフィンガーグローブやミャンマーの格闘技のラウエイのうように布のバンテージを巻いただけでも、正拳(素手)でなければ空手ではない、ということです。空手は素手の正拳を鍛え、素手の正拳で戦うのが空手という武術だということをよく覚えておいてください。

空手は素手と素足を鍛えて、素手素足で組手や試合を行うのです。ただし、出場する選手の安全のため試合では素手で顔面を叩きません。(蹴りは入れます)

直接打撃制(フルコンタクト)ルールの空手の試合は極真会館の大山総裁が世界で初めて考案し、1969年に第1回全日本大会を開催、一般に公開しました。フルコンタクトルールの空手の試合では顔面を素手で叩くのは反則で禁止されてます。(手技による顔面攻撃、金的攻撃、背後からの攻撃以外はOK)

なぜそのようなルールになったのか?

大山総裁は正式に試合のルールを決める前にいろいろと実験されたそうです。グローブを着けたり、剣道のような胴や面を着けてみたりして試した結果、素手で顔面を叩かないルールが選手にとって安全でしかも実践的だという結論でした。

プロボクサーのように練習や試合で常に頭部を強打することによる後遺症(パンチドランカー)を心配してのことでもあります。ほとんどの道場生はプロの空手家ではなく、学生や一般の社会人として働かなければならないのに大事な頭を強打することは後々問題があると考えた結果です。

もちろん、極真空手は試合で顔面を叩かなくても練習では上段突きや上段受けを使った約束組手の練習をします。又、子供、女性、中高年の方は、希望に応じて怪我のないような安全なルール(防具を着けたり、強く当てないライトコンタクト)で組手やスパーリングの稽古を行います。